竹井のFITNESS奮闘記~30年のSTORY-1

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今年の10月でフィットネス業界に
入って30年になりました!

小学生の時は「俺は30歳で死んでいい」なんてとんでもなく親不孝な発言をしたのを覚えていますが(汗)。

現在50歳、フィットネス年齢30歳(^^)

前回2回続けて「なぜ?シリーズ」を投稿していて

なぜシリーズ①:なぜ「老化予防 / 若返りプログラム?」 

なぜシリーズ②:なぜ「加圧(血流制限)トレーニング?」

ここで一旦、自分の歩みを振り返ってみようかなぁーと思いました。

STORYがVol.いくつまでなるか分かりませんが、自分史をここにアウトプットしながら自分を振り返り、次なる一歩を踏み出そうと思います。

まず最初の大きな転機は小学1年生(はやっ)。

というのも、当時「あしたのジョー」に憧れていた私は、入学祝に

ボクシンググローブ

を買ってもらうために、近所の「なんでも屋さん(懐かしい響き)」に連れていかれました(この時点でボクシンググローブがないのは想像できる。。。)

案の定、ボクシンググローブはなく、グローブつながりで

野球のグローブ

を買ってもらいました。親に言いくるめられたのかもしれませんが、この時点で「あしたのジョー」に対する憧れの薄さを感じます。。。

そして、既定路線のごとく従兄弟の所属している地元の野球チーム「三ノ輪ドラキュラーズ(すごい名前)」に入り、野球に明け暮れた小学校生活を送りました(途中「キャプテン翼」が始まり、サッカーに浮気しそうになりましたが。。。)。

背番号は18でエースナンバー

将来の夢は「プロ野球選手」そして

母親を「甲子園の母」にする!

という目標がありながらも

かけっこでは、学年一早い女の子に負けたり、ずばぬけて運動神経が優れているわけでもありませんでした。

当時、祖父が創業した「冷蔵庫製作所」の工場の上が自宅だったのですが、時々父親の手伝いもしていたので

「家を継ぐ」気でいたのですが、きっぱりと「やめとけ」言われ、小学生ながらに、将来のことを色々と考えていたのを思い出します。

中学校に上がると同時に

「硬球で野球をやるなんて考えられない!」

という思いから、学校のバスケットボール部に入り、母親の夢を早々に打ち破る結果となりました(母ちゃん「すまん。。。」)

一応キャプテンでした

当時はスーパースター「マイケル・ジョーダン」が現れた時期。あしたのジョーに続く「憧れ」の存在。それは今でも続いていて、スタジオにもポスターとユニフォームを飾ってしまうくらい尊敬しています!

今の時代であれば「プロバスケットボール選手」を夢見ることができたのだと思いますが、当時は、日本人でバスケで稼ぐというのはイメージできず、

また自分自身の

「器用貧乏」「一芸に秀でない」

運動能力を感じていました。スポーツは大好きだったのですが、そのスポーツで稼ぐのは厳しいと感じていました。自分の能力を決めつけ冷めている自分がいたのですが、もしその時の自分に声をかけることができるのであれば

「諦めたらそこで終わり!」

「諦めなければチャンスはあるぞ!」

と言ってあげたいです(何か、今の自分に言っている気もしますが。。。こういうことが振り返りをするって意味なのでしょうか?)。

でもそう思う反面、その時期の自分は自分自身を客観的に見ていて

「なんでもそつなくこなす能力」

はなんとくあるなぁーと。。。

その能力(能力と言えれるか分かりませんが)が自分を作り出していて、今となってはそれが

「武器」

となっているとも感じます。

まだこの時は

「フィットネス」

という言葉も知らない時期ですが、すでにその業界に足を踏み入れていたように感じます。

次回は高校~専門学校~入社と話は進んでいきます(^^)

STORY-2 に続く

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