【育てるということ】
30年のSTORY-3 からの続き (STORY-1はこちら)
研修最後のエアロビクスの試験では気合いが入りすぎて鼻血を出して中断❗️というハプニングがありましたが、なんとかクリア🎉
3ヶ月の研修終了後、神奈川県金沢区にあるVICS(ちなみに「今は亡き」です…汗)に配属されました。
我が社(GSS)は所有しているクラブはなく、業務受託で、依頼されたクラブの経営をチームで立て直すというスタイル。
当時としてはかなり斬新なスタイルだったかと。
新米インストラクターの私は、経営のことを気にする余裕はなく、とにかくお客様に喜んでもらうために、エアロビクス、アクアビクス、ウエイトトレーニング、スイミングと与えられた仕事を無我夢中で提供する日々を過ごしていました。
先輩方には公私共々、そしてお客様にもたくさーん鍛えてもらいました(^^)
デビュー当時の私のレッスンは本当に
酷かった
と思います(振り付けにカズダンス入れてました😱)。

そんなレッスンをいつも受けて下さったお客様には感謝しかないです。
お客様に育てていただく中で、様々な経験を積ませて頂き、少しずつ自信を持てるようになってきました。
そして
「フリーランスのエアロビクスインストラクターとして活動したい!」
という想いが日に日に強くなっていきました。
そして入社して3年半で退職する決断をしました。
当時の紺屋部長(フィットネス業界の方はご存知の方も多いのでは)には
「ここまで育ててやったのに辞めるのか!」
と言われ、23歳の若造の私はかなり怯みましたが(^^;;

今考えると私の本気度を確認して下さっての発言だったのかと思います。愛ある言葉だったのだと。
そしてもう一方、前田部長(これまたご存知の方、多いですよね)。一見というか、かなり強面(カラダもデカい!)ですが、とても心優しい部長でした。

退職時に
「フィットネスの勉強のために、少しの間、アメリカに行こうと思う」
と伝えた時に
「東京で活動するのなら、西海岸ではなくて、東京と環境が似ているニューヨークに行ったらどうか?」
とアドバイスして下さり、会社を辞めるこんな若造のことを考えてくださってくれたことにとても嬉しく感じました。
この3年半の間には、
ワークショップのプレゼンターの仕事という貴重な経験もさせて頂きました。
私のメンター2人が人気プレゼンターでもあったこで、当然私も「そこ」を目指していました!
会社が毎年ゴールデンウィークに開催される全国規模のフィットネスコンベンション
フィットネスセッション
を運営していたこともあり、会社にプレゼンして、ワークショップの講師を担当させてもらうことが出来ました。

若い。。。(^^;;
ですが今考えると、会社枠とは言え入社3年目の若造に講師を担当させるのは、会社としてはかなりのチャレンジだったかと。
この経験は私にとって、大きなターニングポイントになったことは間違いないです。
人を育てるということは
「相手を信じて、任せる」
ということなのかと、育てて頂いた今、感じてます。
当時を振り返ると信じてもらえている、任せてもらえたと感じたからこそ、期待に応えようと頑張れたのだと思います。
紺屋部長、前田部長の懐の深さに、そして成長させて頂けたことに
ただただ感謝です。
・STORY-5 に続く
・現在地はこちら (STORY-1はこちら)

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