母親からのgift
30年のSTORY-8からの続き (STORY-1はこちら)
毎週ピラティスのレッスンを受ける日々が始まりました。
今までがっつりウエイトトレーニングしかやってこなかった身としては、
ピラティスの
- インナーマッスルを使う
- 無駄な力を抜く
という作業が、ウエイトトレーニングの
- アウターマッスルを使う
- 力を最大限に発揮する
と真逆に感じ、毎回カラダと心が大混乱の中、レッスンを受けていました。
ですが、やはり
継続は力なり
ピラティス氏の言葉を借りると
“after 10 Pilates sessions, you start to feel a difference, after 20 sessions, you start to see a difference, and after 30 sessions, you have a whole new body.”
ピラティスのレッスンを
- 10 回続けると変化を感じ始め
- 20 回のセッション後には違いが見え始め
- 30 回のセッション後にはまったく新しいカラダが生まれます
私は30レッスン以上かかった気がしますが(^^;;
徐々にではありますが、カラダの使い方を身につけ、効率よく動けるようになってきました。
そうなるとエアロビクスの動きの質もかなり変化してきました。
ピラティスによる【ミッション-1】動きのスキルを高めるがクリアになりつつある中、
1年半程通い続け、いよいよ資格取得をしようと。
【ミッション-3】スタジオを作るに繋げるために
ですが、日本ではまだ研修会がなく【ミッション-2】英語の習得もままならない中
STOTT PILATES という団体のコースを受けようと思いました。
当時はまだインターネットがそこまで普及していなかったので
夜中にアメリカに電話し
「英語があまり喋れないが、受講可能か?」
と確認したところ
「その会話レベルだと厳しいのでは?」と、ごもっともな回答(^^;;
どうするかと考えていた時に、通っていたスタジオのインストラクターの紹介でニューヨークのキャサリー&キンバリーであれば、日本語を話せるから、そこでコースを受ければ?と。
そして、1人では高額になってしまうところ、同じスタジオに通っていた、後に一緒に働くことになるやまもとゆきえさん(現在はジャイロトニックのマスタートレーナーとして大活躍)ともう一方の3人で受講できることになりました!
この時点で【ミッション-2】の遂行は断念(^^;;
期間は5週間!
長男がまだまだ小さい時でしたが、妻の理解を得ることができ、また、レッスンもこの期間中、代行をたてなければならず、大迷惑をおかけしましたが、許可を頂き、研修に行くことができました。
武者修行以来のニューヨーク
まさか、エアロビクスではなくピラティスを勉強しに戻ってくるとは思っていませんでした。
先見の明があれば、前回来たタイミングでピラティスと出逢えていたのではないかと。
研修場所はPilates on Fifth
マンハッタンのど真ん中!
誰も羨む環境でしたが、実際のところは
毎日ホテルとスタジオの往復…
休みの日にはやまもとさんとセントラル・パークで動きの復習。
そんな毎日でした。ですが、その甲斐あってなんとか資格をゲット!
翌年もニューヨークに行き、フルサティフィケーションをゲット!
余談ですが、大変な日々の合間にMLB観戦できました!
ヤンキースタジアムで野茂投手(確かメジャーで最後となった登板)の試合を観戦できたのはラッキーであり、感動でした!
「引きの強さ」が出ました(^^)

1回目の武者修行の時の写真
こんなに遠くても一目で野茂投手と分かるシルエットがかっこよすぎます!!
帰国後、実家の1室にリフォーマーを置き、いよいよピラティススタジオのスタート!
エアロビクスインストラクターとピラティスインストラクター、2足のわらじでの活動が始まりました。
実をいうと、エアロビクスインストラクターをしていた時に
いつも居心地の悪さ
を感じていました。
大勢の人の前に立ち、盛り上げるということがあまり得意でない…です。今更ですが…
動くのは大好き、それを伝えるのも大好き、でもエンターティナー向きではないかったかと。
それに対して、マンツーマンで指導するピラティスはとても心地よく
自分を出せる気がして、益々
ピラティス沼
にハマっていきました。

今もスタジオに飾っています
母親には壁にかける穴を作ってもらいました
実家の1室からマンションの1室にスタジオを移し
仕事のボリュームも徐々にピラティスのレッスンが多くなっていきました。
そんな矢先、母親が脳梗塞で倒れそのまま亡くなりました。
58歳でした。娘が生まれる1ヶ月前でした。
家族の中心だった母親がいなくなるなんて考えもしてなかったので、どんな生活になるか想像もできませんでした。
ですが1ヶ月後には「母親の生まれ変わりか!」と思うくらい明るく元気な娘が生まれ、
また母親が亡くなったことで
覚悟
を決めなければならない状況へとなりました。
今考えると母親が残してくれたgiftだったのだと思います。
「覚悟を決めろよ」
というメッセージとともに。
・STORY-10 に続く
・現在地はこちら (STORY-1はこちら)

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