ありがたい
30年のSTORY-9からの続き (STORY-1はこちら)
アイキャッチ画像が、衝撃の画像ですみません。
詳しくは下段で(^^;;
母親が亡くなってしばらくして、だいぶ落ち着いてきた頃に妻が
「じいちゃん (私の父親) と同居しようよ」
と持ちかけてくれました。
ありがたかったです。
そして、父親との同居を機にスタジオを私たちが住んでいたところに移転。
広くなりました。
これが今思うに
母親からのgift
だったかと。
「覚悟を決めろよ」
という。その覚悟というのは、二足のわらじ生活でなく
スタジオ経営1本に絞って活動しなさい!
というメッセージがあったのかと思います。
このタイミングでニューヨークで一緒に研修を受けたやまもとゆきえさんが
私のスタジオでも働いて下さることになりました。
ありがたかったです。
2005年に、翌年3月いっぱいで
エアロビクスインストラクターの仕事を辞める決断をしました。
同時にルネサンスのアドバイザーも辞めることに。
多くを学べるから離れることにめちゃめちゃ悩みましたが
次の一歩を踏み出すために決断しました。
タイミングというのは面白いもので、辞めると決めたとたんに
DVDを出さないか?
というお話を頂きました。
辞める人間が…とも思いましたが、エアロビクスを指導してた証として作っても良いかなぁーと思い、依頼を受けました。なんと3枚出しました(^^)
ありがたかったです。
ちなみにまだ売られているようです。



続いて、フィットネスジャーナルさんから
「カラダの履歴書」
というインストラクーを紹介するページのの取材依頼。
アイキャッチ画像は、その時のもの。
編集長さんのイメージで、コスプレします(笑)
ちなみに私は「豹(ヒョウ)」のイメージだったとのこと。
これまた良い思い出となりました。

そして今度は、ニューヨークで研修を受けたキャサリー&キンバリーさんから
ピラティスとトランポリンを組み合わせたプログラム
Cardiolates カーディオラティス
を日本に導入しないか?
とこれまた打診が。
ありがたかった
のですが、こればかりは即答できず。
というのも、広くなったとは言え、スタジオではトランポリンができる天井高がない。また下の階にも振動が。

やまもとゆきえさんにも相談にのってもらいながら、色々と考え、悩んだ結果
山手線沿線にトランポリンができる
スタジオをオープンしよう‼️
という決断に至りました。
この決断は、私の人生でかなり大きなものとなりました。
そうと決めたら、動き出すのみ
竹井、動きます!(ダウンタウンの松ちゃん風)
どこに出店するか、本来であればしっかりマーケティングして決めなければいけないところですが…
- ピラティスのイメージとマッチする
- 落ち着いている環境
- 競合のスタジオがない
- 家賃があまり高くない
などを考慮して
目白
が良いんじゃないか!
ということになり、早速物件探し。
イメージバッチリのところがあり、早速申し込み!
ですが、残念ながらオーナーさんの意向でフィットネス系はNGといことで、契約ならず。
そんな中、カーディオラティスの情報をホームページに載せていたところ、なんと
雑誌「Tarzan(ターザン)」
から取材依頼が!
これはスタジオオープンに合った絶好のタイミング!
このチャンスを逃してはいけない!
と。取材を受けることに!
同時にスタジオをオープンすることが must となりました。
ですが、希望の目白に物件がなかなか見つからず…
妥協案(焦った中)で
池袋
に出店することになりました。
この
焦った決断
が苦難のはじまりになるとは、この時は知る由もなく。。。
・STORY-11 に続く
・現在地はこちら (STORY-1はこちら)

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