迷走
30年のSTORY-11からの続き (STORY-1はこちら)
目白での順調な活動が続いていましたが、ある時から
建物のオーナーが変わりました。
そうすると徐々にスタジオを取り巻く
環境の雲行きが怪しくなってきました。
スタジオは4階だったのですが、3階にオーナーの知り合い(というか愛人)が
音楽教室をオープン
素敵な?歌声がスタジオまで届いてくるように。。。
心身に向き合うピラティスやジャイロトニックを
落ち着いた雰囲気で行う環境ではなくなってきました。
更にはエレベーターがないので階段で4階まで上がるのですが
3階の踊り場に愛人の大きな愛犬
ゴールデンレトリバーが2匹、いつもデーンと居座るようになりました。
毎回跨いで行かなければならず、犬好きの私でも流石にストレスを感じました。
こんな状況でしたが、とても気に入っているスタジオだったので
我慢して営業を続けていました。

そんな時に、また
人生を動かす話
をもちかけられました。
ピラティスインストラクターありプロスキーヤーであるみやのゆきこさんから
私のピラティススタジオの
経営を引き継いでほしい
と。
東新宿の若松河田にあるスタジオでした。
みやのさんとスタッフの方はそのまま残るので、売上は十分にある状況。
ですが、目白と若松河田の2つのスタジオを経営するのは、自分の力を考えると厳しい。
となると、一つ問題が。
目白をクローズするとなるとスタジオの売りの一つであるカーディオラティスが提供できなくなるということ。
メリットとデメリットを天秤にかけながら考えつつ
自分は今後どうしていきたいのか
も再度見つめ直し
目白スタジオをクローズし、若松河田のスタジオで再スタートを切ろう!
と決断に至りました。
若松河田のスタジオはとてもゆったりとした雰囲気。


カーディオラティスという武器を捨てたことで、
ピラティス / ジャイロトニック
というエクササイズを通して
「お客様に機能的で快適なカラダを手に入れて頂く」
というコンセプトに集中してサービスを提供できるようになりました。
2つのスタジオが1か所に集中したこと、そして今までより広さ的には少し狭い施設になったため、少し手狭になってきました。

借金の返済も完了し、利益も上がってくる中で
「自分は今後どうしていきたいんだろう」
と考え始めました。
そして、
店舗拡大
を図りながら、より多くのお客様に今あるサービスを提供しながら健康を届けたい!
と考えるようになり、神奈川から通うスタッフもいたので横浜近くの
綱島
に3号店をオープンすることに決めました。


ジャイロトニックは
気持ちよかった
2010年のことでした。利益はでないものの、とんとんの状態が続き
スタッフが分散したことで、若松河田も少し落ち着いてきたのでそれはそれでよかったと感じていました。
ですが、2011年綱島スタジオオープン半年後に思いもよらぬことが
東日本大震災
震災後、多くの方が自分自身を見つめなおす時間になったのではないでしょうか?
私は震災前は「店舗拡大」が今後やるべき方向性と思っていましたが
震災後は、本当にしたいのは「それ」ではないのでは?と感じ始めました。
震災後、綱島スタジオは利益が出ない状況が続いていた(オーナーの私がそんな想いであればお客様も集まるはずはなく)ので、1年も経たずにクローズすることになりました。
日々自問自答を繰り返していましたが、なかなか答えを見いだせない状況が続いていました。
そんな中、新しいメソッドを吸収すべくTRXの研修を受講しにいき
そこでの
出逢い
がまた私の人生を大きく変えることに!
そこで意気投合した理学療法士さん(輪違さんさん)が、私のスタジオにピラティスを受けに来てくださいました。

何気ない会話の中で「子供たちがサッカーやっているのなら、ドイツとかいいんじゃないですか?私の知り合いはドイツでトレーナーしてます」と。
「ドイツかぁー」と。
以前から妻とは
「子供達には英語が話せるようになってほしいね」
と話していたのですが、現実はドラキッズに毎週通わせているだけ。
その話を聞いた時に
ドイツに行ったらドイツ語にはなるけど、ドイツ語を習得したら英語の習得にも役立つだろうと。
ノーマークでした(^^;;
英語圏はフィットネス先進国が多いので、私が仕事をして稼ぐイメージが湧かなかったのですが、ドイツであれば
「なんとかなるのでは」
とイメージすることができました。
なんの根拠もありませんでしたが(^^;;
思い立ったら即行動、すぐにドイツのことを調べはじめました。
すると
「デュッセルドルフ」
という町に日本人が多く住んでいると。
そこであれば、英語も話せない私でもなんとか仕事が成り立つのではないか?と。
いくしかない!!
と決断し、妻と子供たちに
2年後の2014年4月にドイツに移住するぞ!!
と伝えました。そうしてドイツ移住に向けた準備の2か年計画が始まりました。
新たな目標が決まれば、あとは動き続けるのみ(かなり内密に)
まずは4カ月しか乗っていない愛車のJeepを売り(涙)、語学学校に通い始め、2012末年には若松河田スタジオをクローズすることにしました。

詳しくはSTORY-5をご覧ください
池袋⇒目白⇒若松河田&綱島⇒若松河田
と状況が変わる中でも
三ノ輪スタジオはオープン当初からずっと継続して営業していました。
2013年からは三ノ輪スタジオのみの営業となり
私がいなくてもスタジオが回る状況を徐々に作り上げていきました。
この時点ではまだスタッフにはドイツ行きは伝えていませんでした。
仕事の方向性ではありませんが
人生の方向性
が定まったことは私にとって大きなことでした。
・STORY-13に続く
・現在地はこちら (STORY-1はこちら)

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