竹井のFITNESS奮闘記~30年のSTORY-14【諦めたらそこで試合終了】

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諦めたらそこで試合終了

30年のSTORY-13からの続き (STORY-1はこちら)

帰国後、いよいよ本格的な準備が始まります。

当時6名いたスタッフにドイツ移住を伝えました。

ドイツへ行く1カ月前に(遅すぎ!!)

「辞めます」と言わせないための確信犯でした(^^;;

「私が不在の間もスタジオを守ってほしい」

と伝え、皆さん、快く受け入れて下さいました。

感謝です。

糖ジオスタッフの皆さん 
現在はそれぞれのステージで活躍されています(^^)

この1年私が遠隔操作して管理して業務が回るように準備していたのですが、

それは信頼関係が大前提にあってこそ。

スタッフのみなさんには感謝しかないです(^^)

そして2013年11月いよいよドイツへ向けて出発です。

まずは私1人で行き2カ月間で

  • 住居とスタジオ物件の契約
  • ドイツ支社の登録

が最初にして

最重要ミッション

でした。

視察の際にアテンドして下さった、西岡さん宅にまずは居候。その後、江野澤さん宅に居候。

このお二人がいなかったらドイツ移住計画は成り立ちませんでした。

携帯の契約、銀行口座開設、住民登録、保険の契約などなど、生活していく上で必要不可欠な手続きをサポートして下さいました。

西岡家のチェリーちゃん

2カ月間というリミットがある中、なんとか無事に

自宅とスタジオを確保

アテンドして下さった西岡さんには

奇跡だ!

と言われました。

年末に帰国し、年明けにいよいよ本格的にドイツでの活動をスタート。

3月末までは

単身赴任生活

ポスティング、日本人向け情報誌への掲載、日本人倶楽部への営業など、認知を広げる活動からスタート。

なかなかお客様が集まらない仕事のない日々、そして日本とは異なる環境での生活で感じる多くのストレスの中で

かなりマインドがやられていきました。

インターネットもなかなか家に繋がらず、毎日スタジオ近くのtentenというカフェで1杯のコーヒーで事務作業という毎日でした。

お金がなかったので、毎日50分ほど歩いて
自宅からスタジオに通ってました

ある日

もうダメだ。。。

と感じ、妻にやはり移住生活は断念しようと伝えようと電話しようとしたのですが、

「ここで諦めたら、子供たちの可能性を奪うことになる」

と何とかとどまることができました。

この時は本当に病んでいました。

金縛りにあうなど、よく乗り越えることができたなと。

3月末に息子の小学校の卒業式で一時帰国。

そして4月いよいよ家族を連れて渡独

ドイツ移住生活のスタート!!

です。

私生活の波瀾万丈編はまた別の機会に連載させて頂きます!

子供達の現地校への入学も決まり、

今回のドイツ移住の最大のミッションがスタート

ミッションが成功するためにも私の仕事をなんとか軌道に乗せなければなりませんでした。

4月には日本人クラブでレッスンもさせて頂き、徐々に認知があがりつつありましたが、まだまだお客様は少ない状況。

語学学校に1日4時間 / 週5日通いながら、スタジオで数少ないレッスンの日々。

このままではまずいなぁー。

「何か行動を起こさないと」と感じ始めていました。

スタジオから1ブロック離れたところに日本人が運営しているカイロプラクティックの施設がありました。

そこにはFitnessスタジオも併設されていて、ヨガやZumbaなどが行われていました。

同じ日本人として競合している場合ではないなと思い、その施設のオーナーに

「一緒に働かせてもらえないか?」

と提案しにいきました。

提案を受け入れて下さり、その施設で働くことになりました。

赤字続きだったので、まずは出費が少なるなる状況にできたことは、大きかったです。

レッスン以外にも、施設の掃除や受付業務、雑用などを行うという条件でした。

せっかく手に入れたドイツでの自分の城をなくしてしまうのは残念でしたが、そんな悠長なことを言ってられる状況ではなく、とにかく必死でした。

ですがピラティスマシンとジャイロトニックマシン、両方を置かせてもらえるスペースはなかったので、

ジャイロトニックのマシンは自宅の1室に移し、自宅でジャイロトニック、施設でピラティスの指導をはじめました。

カイロプラクティックに通うお客様が私のトレーニングも受けてくれるようになり、少しずつですが、仕事も増えていきました。

そんな中、Holmes Place というデュッセルドルフのメインストリートにある高級フィットネスクラブからレッスンを担当してほしいとの打診が!

事務スタッフの日本人の方からの連絡でした。そのクラブの会員様には日本人が多いとのことなので、日本人向けにということでした。

ですが蓋を開けてみると参加者のほとんどがドイツ人!!!!

当然ドイツ語で指導しなければならず、ドイツに住んでまだ4カ月あまり、日常会話もままならない状況だったので、

1時間の台本

を覚えて指導することになりました。

ですが有難いことに、こんなつたないドイツ語しかしゃべることができない日本人のレッスンを受けて下さるお客様もいらしてくれて、暖かく見守って頂きながらレッスンを指導することができました。

私のクラスに参加して下さっていたお客様

ですがここでのお仕事のフィー。保険の登録の関係で

6か月間も支払われずーー!!

このままずっとただ働きが続くのではと不安マックスでしたが、

その日暮らしの生活のなかで、週3レッスンの収入が入ってこないのは痛かったです。

約1年半続けさせて頂きましたが、最後にはドイツ人のピラティスインストラクー(アイキャッチ画像)とペアレッスンを実施させて頂いたりと素敵な経験をさせて頂きました。

本当にこのドイツ語が通じているのか?
未だに疑問です(^^;;

STORY-15に続く

・現在地はこちら (STORY-1はこちら

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