竹井のFITNESS奮闘記~30年のSTORY-16【タイミング】

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30年のSTORY-15からの続き (STORY-1はこちら)

4DPRO JAPAN の活動がはじまった矢先、ビッグNEWSが

ドイツの永住権の取得

海外に住んだことのある方なら、このストレスお分かりかと思います。

私の場合は法人だったので、毎年外国人局に経営報告しなければならず、

1年前は

「この数字だと来年ビザを継続できないから、数字をあげるように」

と言われていました。そんな中での永住権取得は、大きな肩の荷が下りた瞬間でした。

ですが、この知らせと時を同じくして息子から

「日本で勉強したい」と。

今回のブログには書きませんが、彼も激動の日々を送っていました。

その時点で息子は日本の学校でいう中学3年生の冬。

受験勉強もしていなかったで、デュッセルドルフにある日本人学校に1年学年を下げて編入し、翌年の日本の高校受験に向けて動きはじめました。

娘もこのタイミングで日本人学校

子供たちの語学のための移住で、ここまで突っ走ってきましたが

ここにきて今後を考えなくてはいけない状況になりました。

永住権取得のタイミングというのが、絶妙というか、人生のいたずらというか。。。

またこの年も事件勃発

どうして私の人生は落ち着かないのでしょうか(^^;;

スペースを借りていた語学学校の建物自体が

取り壊されることになり

退去しなければならなくなりました。

早速物件探しです。今までの人生を考えると

「物件に対する運」はなさそうなので、苦労するのだろうなぁーと感じていました。

いい物件が見つかれば、すぐ内覧にいき。でもフィットネスというと断わられ。。。

ある物件はOKとまで言われたのに、その後連絡がないので問い合わせると「他の人に決まった」と理不尽な回答。。。

ですが今回は私ではなくRomanさんの運を使うことができたようで、

とても素敵な物件と契約することができました!!

倉庫で使用されていたので、そこからスタジオとして使用できるように、床を貼ったり、壁やフロント(アイキャッチ画像)を作ったり、知り合いのサポートを借りながら、ドイツにきて4か所目のスタジオが完成しました。

スタジオの名前がMOVESなので、日本にいる時から移転を繰り返す運命になってしまっているのではないかと。。。

ここでの仕事は、ようやくドイツの地に足をつけて仕事ができているという充実感を得ることができていました。

そうした日々を送りながら、息子が日本の高校に受かり、帰国して私の父親と二人暮らしをはじめたり、娘も日本人学校に通いながら日本の高校を目指す生活へとなっていきました。

そんな生活が1年続いた時、4DPRO の開発者ガラヴィ先生から

「NORIOはドイツで何をしているんだ。日本でもっと4DPROの活動をしてほしい」

と言われました。ごもっともなご意見です(^^;;

娘が日本の高校に進んでも、私一人ドイツに残って生活しようと考えていたのですが、

「そろそろ日本に戻るタイミングなのかなぁー」と。

そうなると4DPRO のバンジーフィットネスができる環境のスタジオが必要。三ノ輪スタジオでは天井も低く実施することが難しく。

そこで以前、日本にいた時にスタジオをシェアして共同経営していた代々木公園近くにスタジオを構えるナチュラルフローの井上朱実さんに再度

スタジオの共同経営の話をもちかけました。

大変有難いことにこの打診を受け入れてくださり、そこから一気に帰国モードにシフトしていきました。

スタジオクローズの準備、マシンを日本に輸送する準備、日本のスタジオに梁を設置するための打ち合わせなどなど。。。

急ピッチで進めていきました。そして、娘が中学3年の夏に、妻と娘を残して私が一足先に帰国することになりました。

そして日本での活動がスタートしました。三ノ輪スタジオと代々木公園スタジオで。

今考えるとこのタイミングはベストでした。

というのも、娘の高校受験と共に完全帰国したのは2020年1月。

この2か月後に

コロナ

全世界に猛威を振るい始めたからです。

この影響で娘はドイツでの卒業式に参加することができませんでしたが、もしドイツで生活を続けていたらと思うとぞっとします。

ここでも

引きの強さ

がでたと思います(^^)

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